CHASSESPLEENの日記

2018年2月4日に別府大分毎日マラソンを、山中先生から数秒遅れで完走し、燃え尽き、今後の方向性が定まらぬまま、憂いを払うべく綴る連絡帳。

へそまんじゅう

由来が長い。f:id:CHASSESPLEEN:20190217210556j:image
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古来へそは大切なものながら世人之れを茶目でユーモアな存在としているが、体の中央に悠然と構へ、その形も千差万別で、満月型あり、月見型あり、谷見型、藪にらみ型、稀には出臍等愉快なのがあれ共、フックラとした月見型を最も可とすると古書に見えたり。心のひねくれしを臍曲りと例え、可笑しきときは臍が茶を沸すとか臍の宿替とか申し、又、昔漢の項羽が山をも抜く力も、へそごまをとりて力忽ち衰へたりといふ。ゆめゆめへそごまはとるべからず。抑々弊舗特選のへそまんじうは、その昔永禄6年、当地より程近き辛垣城に構える三田弾正綱秀を小田原の北条左京太夫氏康と其の子滝山城主北条陸奥守氏照父子が昼夜を分たず攻め立てしが、中々落城せず偶々折柄の大雷雨中を隣峰その名寄しらむ雷電山口より攻め込んだ豪勇無双の十勇士により、さすが難攻不落の辛垣城も陥落したるが、この十勇士が当時この附近の茶店で購った兵糧のまんじうを腹巻に包んでおいた所、不思議や全部このまんじうの型に変り大雷雨に臍も取られず、然も勇猛果敢な働きに澤山の恩賞を授けられしとか。依ってこのへそまんじうを常に賞味し、臍下丹田に力を入れて世に處するなら必ずその成功疑ふ可からず。秩父多摩国立神代吊橋畔 登録商標へそまんじう本舗 主人敬白