CHASSESPLEENの日記

2018年2月4日に別府大分毎日マラソンを、山中先生から数秒遅れで完走し、燃え尽き、今後の方向性が定まらぬまま、憂いを払うべく綴る連絡帳。

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(プレミアシート)「ポルトガル、夏の終わり」 重ねた時、静謐な夕景:朝日新聞デジタル
 人生の黄昏(たそがれ)をいかに過ごすか。死期の迫った高齢者たちの物語、「終活映画」ともよべそうな映画が近年目につく。「最高の人生の見つけ方」「チア・アップ!」など、老い先の短い主人公が未練を残したくないという思いから、自らのささやかな目的を達成する。
 一方、この映画の主人公フランキー(イザベル・ユペール)は、終活などどこ吹く風とばかりに悠然としている。朝、ホテルのプールでひと泳ぎし、息子と散歩し、友と語らう、夫との午睡のあとにピアノを弾く。何かある目的を立てて達成を目指すのではなく、ただ今という時間を生きているにすぎない。
 舞台はポルトガルのシントラ。豊かな自然、瀟洒(しょうしゃ)な町並みは、地上の楽園といった趣だ。映画女優として功成り名を遂げたフランキーは、自分の家族と親しい友人を招く。別れた元夫とその息子、現在の夫、その夫が先妻ともうけた娘、その夫と娘。旧来の友人であるヘアスタイリスト。彼女の死を受け入れられないのは、むしろ残される者たちの方である。
 近親者たちは、彼女を映し出す「鏡」となって、彼女の奔放さ、芯の強さ、死後の財産管理への周到な計画を明らかにする。さらには、息子の人生を支配し、知人の交際に干渉したがるエゴイズム、また残酷さといった負の側面も垣間見える。一日の物語のうちに、彼女の生きてきた時間が幾重にも折り重なっていく。
 それはユペールという女優の孤高のイメージとも関連している。「ピアニスト」を始め、エキセントリックな印象が強い彼女だが、一方で初期の「レースを編む女」では海岸の避暑地で淡い恋に生きる少女をみずみずしく演じていた。「眠れる美女」などで近年演じてきた女優役を彷彿(ほうふつ)とさせもする。
 ラスト、登場人物たちが全員で、岬で夕陽(ゆうひ)を眺める。没する夕陽の残照が海辺にきらめきを残す。過去と現在と未来とが、永遠の沈黙のなかに解け合っていく。感傷を遠ざけた静謐(せいひつ)さが、見終わってからも長く深い余韻を残す。
 (大久保清朗・映画評論家)

 ◇東京などで14日、大阪で21日公開